雲仙史蹟「行基菩薩の墓」
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投稿者:westjazzさん
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自然と歴史の宝庫、国立公園「雲仙」へ行こう! 温泉街神社前の信号機がある三差路をスカイホテル側、原生沼方面へ5分程進むと、床屋のマークがあり、そこを左折すると伝承「行基菩薩の墓」があります。 ・・・「現在の雲仙岳中心地の周辺では、1500年代後半から1600年前半(沖田縄手の戦いから島原の乱)にかけ、仏塔である五輪塔や宝 印塔が多数確認される。とくに「行基の墓」と呼ばれる五輪塔は注目される石塔である。この五輪塔は2m近い高さをもつ五輪塔(安山岩)で製作年代はその形態から1500年代末から主に1600年代前半頃と考えられる。 キリシタン墓碑が100基以上確認される半島南目の麓の状況とは異なり、山頂の雲仙岳ではキリシタンの環境を見いだすことはできない。 この点は、かってフロイスが「日本における最大かつもっとも一般的な霊場の一つ」と記述し、イエズス会が何とか手に入れようとした重要な場所にあったにもかかわらず、宣教師等の記述にほとんど登場しない点と符号する。 島津の雲仙岳復興ができたかどうかはわからないが、少なくともこの地にキリシタンが勢力を張ったことは考えにくい。おそらく沖田縄手の戦い以降、麓の半島南部ではキリシタンが栄えたのに対して、頂上の聖峰温泉岳では伝統的な温泉山修験が吹き返した可能性がある。(有馬の城・外交・祈り:大石一久著P6 2008/2/9 資料)」☆ 温泉山の歴史ブログ ☆http://blog.goo.ne.jp/westmac/